エゴサーチはどこまでが自己管理でどこからが自意識過剰か?

ブログを書くことは舞台に立つこと。
伝えたいことがあるから舞台に立つ。自分のために芝居をするわけじゃない。
舞台に上がるには覚悟が必要。だから、観客にこの思いが伝わったかどうかが気になる。
観客の声を拾うことは、次の舞台をよりよいものにするために必要なこと。
観客の声を聞こうとしないブロガーは怠慢であり、向上心がないオナニーブロガー。
よりクオリティの高いブログを目指すなら、あらゆる意見を真摯に受け止め、
己の糧にし、是も非も消化したうえで次の舞台にのぞむべきである。



と、思っているのですが・・・



あまり拾いすぎるのもいかがなものか?と悩ましく悩む今日この頃。
ブロガーやサイト管理人なら、一度はサイト名やHNで検索かけた経験、ありますよね?
紅は一応、自分のブログにリンクしてくれてるブログやサイトはテクノラティ検索で拾っていて、
これは!と思う記事ははてブでブクマして自分用にコメント残したりしてるんですが、
それが相手にバレて*1びっくりされることがしばしばあります。


本人に伝えたくて言及してるケースなら良いけれど、そうではないケース、つまりちょっとした独り言っぽいつぶやきを拾ってそれを自ブログで取り上げたりブクマしたりする行為は、
相手にしてみたら「えぇー!アンタが聞いてるなんて予想外!」なんだろなぁと。


観客にしてみれば、舞台を見た帰り道でボソっとつぶやいた一言だったり、何の気なしに他人に漏らした感想だったりするのに、それをいきなり観客席にピンでスポットライト当てて「こちらにこんな風に言ってる方がいますね!」なんて舞台上に引き上げちゃったら、相手はそりゃあ戸惑いますよね。そんなつもりで喋ってないだろーし、心の準備もできてないだろーし。


これはニュースサイトに取り上げられる感覚に似てるかも。
今まで身内だけで超まったりやってたのに、突然大手ニュースサイトに取り上げられて
べらぼうにアクセスが来たりすると腰砕けるもんね。
イヤそんなことならもうちょっと大勢に見られること前提に気を使って書いたのに、みたいな。


その気持ちがわかるから、”壁に耳アリ障子に目アリ”な拾いっぷりは控えた方がいいかなとも思うんだけど・・・でも舞台やってる人間としては、観客の声はやっぱり気になります。
ある程度観客の声を拾うのは自己管理のうちだし、まったく気にしなくなったら終わりかなと。
身だしなみみたいなもので、自分さえ良ければ他人にどう見られようと構わないってのは、
ブロガーであることを捨ててるようなものだと思っています。


紅は、ひと芝居うったあとは観客にどう思われてるか知りたいし、感想も聞きたい。
でもあまりやりすぎて、「アタシの話をしてる奴ぁーいねえか?」と網を張り巡らせすぎても
自意識過剰なナルシストっぽくて、検索してる自分が恥ずかしくなったり。


はてブのコメントは、紅の中では”拾って良い声”だと思ってるけど、
あれも昔はぜんぜんそういう意識がなかったからなぁー。
書き手や第三者に”見られてる”と意識し出したのは、自分の記事がはてブされるようになってからです。
それ以前は”誰にでも見られる場所にある”と、頭では理解していても実感としては全くなかったので、かなり好き勝手に書いてました。
まぁそれでもいいんだろうけど、本人に見られるならばきちんと体裁整えておきたいってのが八方美人の紅の心理。



Webは敷居がないから怖いな、とたまに思います。
なんだろ、綺麗にカットされて売り物としてお店に並んでる野菜も、隣の家の台所の生ゴミも平等に拾ってしまうというか。*2
Webにある以上はリンクしちゃダメ!見ちゃだめ!なんて規則はないけど、
うーん、ベルサイユ宮殿の人が紅の寝言を耳ざとく聞きつけて反応されたりしたら
それはやっぱり、ちょっとびっくりするもんね。
とりあえず「なななんでもないですごめんなさい!」って謝りたくなるもんw


だから観客の声を伝えるオフィシャルな手段としてトラバやコメントがあるんだろうけど、
それだけでは不安で、つい”声にならない声”を拾うべくエゴサーチをかけてしまう自分は
やっぱり自意識過剰なのかしら?


*1:つまり発見されて

*2:厳密に言えば検索結果の上位に出る・出ないの差はありますが、エゴサーチだとその差は意味がない